明日香村 飛鳥を訪ね!

飛鳥・明日香

「日本の美術」・飛鳥白鳳時代

飛鳥の風景スライド写真集

古墳時代から大和政権 飛鳥時代 推古天皇
聖徳太子 酒船石遺跡 明日香村

   縄文時代からの大和・飛鳥(明日香)

 日本という国を大きく転換させたのは、飛鳥時代と明治時代。

飛鳥時代は中国・朝鮮半島の影響を受けて、仏教が国家の中核的思想と位置付けられた。かたや、明治時代はキリスト教の精神を基礎に国家のあり方を定めたわけではない。この点に関しても、七世紀の飛鳥の方が十九世紀後半から二十世紀初頭の明治時代よりも根底的に思想的転換をなしたと言ってよい。

 飛鳥とその周辺の地域は、奈良県高市郡明日香村の中心部。実際に古代の政治的な舞台になったのは面積にして約三平方キロメートル、今の首都東京の永田町・霞ヶ関とほぼ同じで、飛鳥は天香具山から橘寺までの南北3`、多武峰と甘樫丘・飛鳥川に囲まれた東西0.7`の小盆地、即ち談山神社の御破裂山で海抜618m、高取山で584m、甘樫丘で148m。

 奈良盆地の南東にある小さな土地に、政治と文化の情報が濃密に集積していたことが想像される。しかも、その周辺の山々は、海抜1000メートルも無い、低い山が連なり、縄文時代から弥生時代への編さんが、私には非常に興味を注ぐところです。低い山は恐らく、落葉広葉樹の繁殖地域で、非常に生活物資の豊かな、しかも、葛城山を越せば、豊かな海が近く、出雲の国や吉備の国、又、かたや冷厳な吉野も近く。先住民族である、縄文人の生活と農業での繁栄をもたらす弥生人とがどのような融和をもたらし、渡来人との融合はどのようであったのか、調べてみたくなりました。(梅原 猛「飛鳥とは何か」を参考)

高松塚古墳
キトラ古墳
飛鳥川

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