石室側壁に朱線、
「墨打ち」に通じる綿密な技法 高松塚
2007年04月21日11時51分
奈良県明日香村の特別史跡、高松塚古墳(7世紀末〜8世紀初め)の石室解体を進める文化庁は20日、側壁の5カ所から石室の設計段階に引かれた朱線が見つかった、と発表した。側壁を載せた床石の周辺部を3センチ低く削って壁画面をそろえる構造になっていたことなども確認。同古墳が、石工や大工が墨糸などで線を引く現代の「墨打ち」にも通じる綿密な技法でつくられたことが分かった。
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北端の天井石と北壁を石室から取り外した後の開口部を調査。「飛鳥美人」で知られる女子群像が描かれた東壁(厚さ45センチ)と西壁(厚さ37.5センチ)の、それぞれ北壁と接していた面で幅1.5〜2ミリの朱線が2本ずつ見つかった。朱線は東西壁とも、壁画面から21センチ外側の接合面上端部で縦に15〜16センチあり、さらに内側の石の縁に沿って十数センチ残っていた。
もう1カ所の朱線は、北壁底面の西側で削った部分の延長線上に4センチほどあった。北壁は、石を組み合わせるため壁画面の東西端を段状に2センチ削っていた。
同様の朱線は、同村のキトラ古墳(7世紀末〜8世紀初め)や群馬県の南下(みなみしも)E号墳(7世紀末)など奈良、群馬の石室5カ所で確認されている。石に定規をあてて竹ヘラで朱色の墨を引き、それに沿って石を削るなどの加工をしたとみられる。
ただ、東西壁の接合面に残った朱線周辺に加工の跡はなく、当初削る予定だったが、何らかの理由で中止した可能性があるという。
また、床石(幅1.55メートル)は、東西南北8枚の側壁を載せる周辺部が3センチ削られ、段差になっていた。段差に沿って側壁を設置し、壁画面をそろえたらしい。
2007年04月18日19時47分
奈良県明日香村の高松塚古墳(7世紀末〜8世紀初め)で石室解体を進める文化庁は18日、5月に解体する予定の東西壁に描かれた女子群像の絵とその周辺の計9カ所で黒いカビを確認した、と発表した。「飛鳥美人」として知られる壁画で、これまでもカビなどによる劣化が判明していたが、それが拡大した。
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新たに黒い粉状のカビが見つかったのは、西壁の4カ所と東壁の5カ所。西壁の女性の黄色い衣装の胸や、東壁の女性の白い衣装の肩付近で1〜5センチ四方に広がっていた。絵の周囲でも1〜8センチ四方で見つかった。一部を筆で除去し、エタノールによる殺菌処理もした。
北壁を作業室に搬入 高松塚古墳の石室解体
2007年04月19日19時24分
奈良県明日香村の高松塚古墳の石室解体で、文化庁は19日、四神の一つ「玄武」が描かれた北壁(1.2トン)を修理施設の作業室に搬入した。当初は解体した17日に搬入する予定だったが、北壁の壁画面や石室に残っている女子群像の絵の周辺で黒いカビが見つかったためずれ込んだ。
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北壁は解体後、古墳から修理施設に運ばれたが、修理・保存処理を施す作業室とは別の部屋に一時保管して、カビの殺菌をした。
4月17日17時7分配信 毎日新聞
極彩色壁画を保存するため石室の解体をしている奈良県明日香村の特別史跡・高松塚古墳(7世紀末〜8世紀初め)で17日、文化庁は四神の一つ「玄武」が描かれた北壁石を取り出し、無事、隣接する準備室への移動に成功した。午後、修理施設に運ぶ。石材の取り出しは今月5日の北端の天井石以来2石目で、壁画の描かれた石が初めて石室の外に出た。 |
最終更新:4月17日17時7分
4月19日9時59分配信 毎日新聞
左は黒いカビ(赤丸内)が拡大したと見られる西壁女子群像。右は応急処置後=いずれも奈良県明日香村の高松塚古墳で18日撮影、文化庁提供(毎日新聞)
最終更新:4月19日9時59分
4月17日16時36分配信 時事通信
石室(手前)から取り外され、つり上げられる北壁石。中央に玄武が見える。古墳から約750メートル離れた修理施設に運ばれ、保存処理を受ける(17日午後、奈良県明日香村の高松塚古墳=代表撮影)(時事通信社)
最終更新:4月17日16時36分
4月17日12時59分配信 時事通信
取り外された北壁石。中央に玄武が見える。1300年にわたって石室を守ってきた玄武は、古墳から約750メートル離れた修理施設に運ばれ、10年程度かけて修理、保存処理される(17日、明日香村=代表撮影)(時事通信社)
最終更新:4月17日12時59分
高松塚壁画/文化庁が台無しにした
2006/04/18
国宝・高松塚古墳壁画(奈良県明日香村)のカビなどによる深刻な劣化は、どうやら文化庁の作業ミスが重大な影響を及ぼしていたようだ。
五年前に古墳の入り口を工事した際、消毒済みの防護服を着用せずに作業を繰り返していたことが分かった。工事後まもなく、入り口周辺に大量のカビが発生した。これが原因で、カビは壁画のある石室の中まで広がった可能性が強い。
このことについて、専門家らによる保存対策検討会に詳細を報告していなかった。検討に当たっての重要な情報が伝えられていないとは、信じがたい話だ。
高松塚の極彩色壁画は昨年、特別史跡の古墳本体を解体し、修理することが決まった。検討会は、解体に異論も多い中で、ずさんな作業によるカビ発生の事実を知らないまま決定していたことになる。
問題の作業と相前後して人為ミスによる壁画損傷の事実も明らかになった。四年前、作業中に壁画の一部を損傷したが、やはり公表されていなかった。
この報告は、検討会の座長以外の多くの委員には知らされていなかった。座長は文化庁に「辞任」を申し出ている。文化庁がコントロールする検討会そのもののあり方も再考が必要なのではないか。
高松塚壁画は一九七二年に発見された。三十数年の間に危機的な状態にまで劣化してしまった。その間、文化庁はなんら有効な手を打っていない。劣化の事実さえ公表せず、一昨年ようやく公になった。
もっと早い時点で公表し、衆知を集めて対策に当たっておれば、古墳解体という最終手段は避けられたかもしれない。責任は重いといわざるを得ない。
一連の経緯を見ると「文化庁によるミス隠し」であり、文化庁が台無しにしたといわれても仕方があるまい。壁画を保存する責任意識の欠如と隠(いん)蔽(ぺい)体質が厳しく問われる必要がある。
昨年の古墳解体決定の際にも文化庁への厳しい批判が噴出した。それにもかかわらず作業ミスを伏せ続け、今回の事態を招いたのである。反省の姿勢も見えない。
高松塚古墳とその壁画は今も埋蔵文化財の頂点に位置する「至宝」である。国宝は国民の財産であることを、文化庁は肝に銘じるべきだ。
もはや、来年に迫る解体修理の道しかないのかもしれない。そうだとしても、文化庁は自らを解体するぐらいの決意で、説明責任を果たし、いまからでも国民に広く理解を求めねばならない。
高松塚解体/“失敗”を出直しの原点に
2005/07/03
奈良県明日香村の高松塚古墳が解体・修復されることになった。国宝の極彩色壁画を守るために、文化庁は特別史跡の古墳を一度崩すという前例のない手法を選んだ。超一級の文化遺産だけに、国民には大きな衝撃である。
早ければ一年半後に着手し、古墳から壁画の描かれた石室を取りだして十年がかりで修復する。その後、あらためて現地で再保存・公開する方向だという。
高松塚の壁画は一九七二年に発見され、あでやかな衣装の女性群像が「飛鳥美人」と呼ばれ、空前の考古学ブームを巻き起こした。保存については、石室密閉による方法が選ばれ、これが文化財の現地保存という、その後の指針にもなってきた。つまり、今回の決定は、「現地での現状保存」の原則を文化庁自ら崩すことになる。
この判断には、釈然としないものが残る。古墳そのものより、壁画を優先するという選択は、二者択一に追い込まれるまで放置してきたことを示しているからだ。
突き詰めれば「どこで、いかに残し、どう見せるのか」という文化財の在り方さえ問いかけられているようでもある。
解体の是非を軽々しくはいいがたい。現時点で壁画を救う手立てがほかにないのかもしれない。だが、指摘しておかねばならないことが幾つかある。
千三百年間、盗掘を受けながらも、なんとか耐えてきた壁画が、なぜ急速にカビの侵食を受けたのか。だれが考えても、発見以来三十余年の維持方法に問題があったことは明らかだ。密閉保存したことによる慢心はなかったのか。結果的にカビの侵食を許してしまい、手遅れ寸前に“大手術”をせざるを得なくなった。
また、解体決定まで、本当に論議は尽くせたのか。検討会の委員二十四人の顔ぶれに偏りがあるとの指摘もある。解体に異をとなえる専門家らは「今回の決定は文化庁の敷いたレールに乗ったもの」という。
さらにいえば、国民への説明責任が十分に果たされたのかどうか。文化庁は、壁画の状態に関する情報をこれまできっちり公表してこなかった。カビ侵食の原因の徹底究明と、今度の事態に至った経緯やその責任を当然明らかにすべきだろう。
これなくして、今後の文化財行政の再出発はありえない。言い換えれば、“失敗”を出直しの原点にしなければならない。
国宝は、「国の宝」であり、「国民の財産」である。壁画の腐食を許していいわけがない。今となっては最新の技術で最善の処置がなされることを願うしかない。
高松塚古墳/もう議論の余地はないか
2005/05/01
奈良県明日香村にある特別史跡「高松塚古墳」で、劣化の進む極彩色壁画(国宝)保存について、文化庁の対策検討会が、このほど、石室を解体、壁画を取り出して修復・保存するとの方針を打ち出した。
国際的にも貴重な壁画だけに、急速に進む劣化は何としても食い止めなければならない。しかし、極めて大規模かつ専門的で微妙な作業が予測されることから、さらに衆知を集めた慎重な対応が必要だ。
一九七二年に発見された壁画は、二つのテーマからなっている。一つは、天地の秩序を示す日月、星宿(星座)と四神図。もう一つが男女の風俗図である。いずれも、精密な描写が光る、七世紀末から八世紀にかけての傑作である。
比較的早くから劣化が指摘されていたが表面化したのは昨年六月のことだ。四神のうち「白虎」の変色、退色が著しかった。全体にもカビや変色が認められ、一気に抜本的対応が迫られることになった。
当初は(1)現状保存(2)古墳ごと保護施設で覆う(3)石室のみ覆う(4)壁画のはぎ取り(5)石室解体―の五つの方法が検討された。その結果、今のまま壁画を残す方法では、永久にカビ対策が続き、劣化を食い止められないこと、また、はぎ取りも過去の保存修理で固められた壁面を部分的に取り出すことが不可能との見方が強く出された。従って残る選択肢は解体しかなかったという。
この検討会の考えに対し、専門家の間では「やむを得ぬ手法」「現地にあってこその壁画」という、賛否の意見が極端に二分されている。
加えて、劣化の指摘を受けながら、文化庁は保存対策を怠ったとの批判もある。そのために、カビ被害が深刻化し、変色、退色を招いたとも言われているが、そのあたりの情報公開もされていない。文化庁への不信も増した。文化財行政の失敗と指摘されても致し方ないだろう。
そうした責任のあり方と、危機を招いた経緯をあらためて、明らかにする必要がある。そうでない限り、突然の解体計画が示されても、大方の納得は得られまい。
確かに、修復・保存は緊急対応を迫られており、現状での現地保存は難しいかもしれない。出土品の「古墳外保存」も常態化していることなどを考えると、解体は「次善の策」かとも思われる。
しかし、検討経緯を見るに、まず解体ありきの思惑が先行した感が免れない。もっと、多様な専門分野の意見を多角的に戦わせ、さまざまな可能性を探ってほしい。議論の余地は、まだ、ある。
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国宝高松塚古墳壁画緊急保存対策について |
平成15年6月26日 目次 |
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はじめに |
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1.石槨内及び墳丘の現状 |
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壁画が描かれている石槨壁面は、表面を平滑に加工された角礫凝灰岩面にカルシウムを主成分とする漆喰を3ミリから5ミリ厚で塗って下地とし、その上に絵画が描かれている。壁面漆喰層からは鉛が検出され、絵画部分ほど鉛分が多い。漆喰層の状態に当初から大きな変化はないが、すでに劣化が激しく、完全に剥落した部分、かろうじて粉状になって岩面に残っている部分も多く、一見健全に見える部分も構造的に空隙が多く、きわめて脆弱な状態である。 |
(2) 墳丘の現状 |
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墳丘部は、保存施設建設のため石槨の南側墓道部分を中心に発掘がなされ、さらに墳丘東側裾部近くの2か所にトレンチ調査(試掘調査)を実施したが、その他の墳丘部は未発掘のままである。保存施設建設後、この施設の上面から石槨上部にかけて封土がなされ、封土部分にはシャガやササが植えられたが、従来から墳丘上に生えていたタケや灌木類は、環境を変化させないようにそのまま手を付けなかった。 |
2.調査研究の経緯 |
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美術史、保存修復技術、保存科学、考古学の専門家で構成される「国宝高松塚古墳壁画緊急保存対策検討会(以下「検討会」という。)」は、平成15年3月18日に第1回検討会を開催、3月25日には現地調査を実施して、高松塚古墳壁画及び墳丘の現状把握を行った。 |
3.緊急保存対策のための調査概要 |
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@ 石槨内壁面に黒い痕を残した黴については、既に黴が死んでいたため培養検査によっても正確な黴の同定ができなかった。しかし、平成13年12月に取り合い部及び石槨内から採取したサンプルの培養検査により、石槨内に褐色の胞子を作るFusarium sp., Cylindrocarpon sp., や、黒色の塊を作るGliomastix sp. が検出されており、これらが黒い痕の原因となったと推測される。なお、同時期の調査では、石槨内の黴のうち、Cylindrocarpon sp., とGliomastix sp. は取り合い部では検出されていない。 |
(2)石槨内 |
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壁面に関して、肉視による観察のほか、赤外線水分計測・温度分布測定・蛍光X線分析等を行ったほか、浮遊真菌採取・炭酸ガス濃度測定等を実施した。 |
(3) 墳丘部 |
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墳丘部では、植生の調査・電気探査・水分分布の計測・土質調査等を実施した。 |
4.「国宝高松塚古墳壁画」の緊急保存対策について(提言) |
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@ 墳丘上全体を防水断熱シートで覆い、降雨による雨水の浸透を防ぐこと。 |
(2)引き続き検討すべき事項 |
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@ シートをかける等の対策はあくまでも緊急的な対応であり、早い時期に墳丘部の封土について抜本的な措置をとるとともに、今後、墳丘全体について整備計画を策定すること。 |
参考資料 |
国宝高松塚古墳壁画緊急保存対策に関する調査研究について 平成15年3月12日 |
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近時、奈良県高市郡明日香村に所在する国宝高松塚古墳壁画を取り巻く環境に大きな変化が認められることから、その保存管理の在り方について緊急かつ抜本的な保存上の対策について調査研究する。 |
2.調査研究事項 |
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(1)国宝高松塚古墳壁画の緊急保存対策の検討 |
3.実施方法 |
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(1)この調査研究を行うため、専門家で構成する「国宝高松塚古墳壁画緊急保存対策検討会」(以下「検討会」という。)を開催する。 |
4.庶 務 |
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この調査研究に関する庶務は、文化財部記念物課の協力を得て、文化財部美術学芸課が行う。 |
国宝高松塚古墳壁画緊急保存対策検討会委員名簿 |
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青 木 繁 夫 |
独立行政法人文化財研究所東京文化財研究所修復技術部長 |
有 賀 祥 隆 |
東北大学教授 |
岡 岩太郎 |
国宝修理装こう師連盟理事長 |
金 子 裕 之 |
独立行政法人文化財研究所奈良文化財研究所 |
沢 田 正 昭 |
筑波大学教授 |
白 石 太一郎 |
国立歴史民俗博物館教授 |
田 辺 征 夫 |
独立行政法人文化財研究所奈良文化財研究所埋蔵文化財センター長 |
百 橋 明 穂 |
神戸大学教授 |
増 田 勝 彦 |
昭和女子大学教授 |
町 田 章 |
独立行政法人文化財研究所奈良文化財研究所長 |
三 浦 定 俊 |
独立行政法人文化財研究所東京文化財研究所協力調整官 |
三 輪 嘉 六 |
独立行政法人国立博物館九州国立博物館(仮称)設立準備室長 |
渡 邊 明 義 |
独立行政法人文化財研究所理事長 |
国宝高松塚古墳壁画緊急保存対策検討会ワーキンググループ名簿 |
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青 木 繁 夫 |
独立行政法人文化財研究所東京文化財研究所修復技術部長 |
石 ア 武 志 |
独立行政法人文化財研究所東京文化財研究所物理研究室長 |
岡 岩太郎 |
国宝修理装こう師連盟理事長 |
小笠原 具 子 |
修理技術者 |
川野邊 渉 |
独立行政法人文化財研究所東京文化財研究所修復材料研究室長 |
木 川 り か |
独立行政法人文化財研究所東京文化財研究所主任研究官 |
佐 野 千 絵 |
独立行政法人文化財研究所東京文化財研究所生物研究室長 |
柴 田 昌 三 |
京都大学大学院地球環境学堂助教授 |
田 辺 征 夫 |
独立行政法人文化財研究所奈良文化財研究所埋蔵文化財センター長 |
松 村 恵 司 |
独立行政法人文化財研究所奈良文化財研究所 |
三 村 衛 |
京都大学防災研究所助教授 |
山 本 記 子 |
修理技術者 |
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高松塚古墳壁画の恒久保存に向けて、文化庁では検討が進められています |
Q.高松塚壁画が発見された当初の、壁画保存の方針・方法は? A.石室内に描かれた壁画は、高松塚古墳を構成する重要な要素です。 壁画は本来古墳の中で恒久的に保存されることが原則であり、これは他の文化財においても変わりがありません。 高松塚古墳壁画では海外からの専門家の意見も参考にし、現地で修復・保存することが決められました。 特に、その保存環境が壁画保存の今後を左右することから、石室内を発掘前の環境(温度・湿度)に維持することが有益と考えられました。 石室は墳丘の中の地中にあり、自然に発掘前の環境(地中温度)に戻っていきます。 Q.高松塚古墳の保存施設の概要は? A.石室内は発掘前の環境に自然に戻り、維持されますが、石室内での壁画の修復や点検にあたっては、人の出入りが必要となり、石室内と外との環境差を抑えるために、石室の前面に保存施設が必要となります。 つまりこの保存施設は石室内の環境を強制的に維持するものではなく、人の出入りにあたって、前室の環境を整える施設です。 Q.壁画の修復とカビ処理の経緯は? A.保存施設完成後、ほぼ10年にわたって壁画の保存修理が行われました。 それは剥落しそうな箇所を樹脂によって止めるものでした。 この時期すでにカビも断続的に発生しており、カビ処置も並行して施されています。 その後、平成12年までは、年に1回の定期点検だけで、カビは比較的少なく、注意深く監視を続けていました。 しかし、平成12年にはカビが大発生し、壁画にも影響を与える状況になっていき、平成14年には複数のカビが発生、壁面に黒色の染みを残すことになりました。 これらの状況から、文化庁では平成15年に「国宝高松塚古墳壁画緊急保存対策検討会」を設置し、原因究明と応急的対処法について検討しました。 さらに平成16年には「国宝高松塚古墳壁画恒久保存対策検討会」に改組して、現在に至っています。 Q.検討会委員の構成は? A.国宝高松塚古墳壁画恒久保存対策検討会(24名)、同作業部会(13名)で構成されており、考古学だけでなく、保存科学・美術史・修復・地盤工学・防災・生活空間学・微生物・生態管理などの各方面の専門家によって検討がなされています。 Q.白虎などの壁画が薄れてきた原因は? A.壁画の描線や彩色が不鮮明になっていった原因は、カビの菌糸が漆喰の中にくい込んで漆喰層にダメージを与えると同時に、そのカビを除去するために殺菌処置を繰り返し施した結果、表面が荒れたり、描線が不鮮明になったことが考えられます。
Q.なぜカビが大発生したのですか? A.カビは温度・水分・酸素・栄養等の要素が揃えば、すぐに発生します。 平成12年頃には温度の上昇や水分上昇がみられており、すでにカビが繁殖する条件が整っていました。 そうした中、石室取り合部に発生したカビを契機として、温度上昇や水分・栄養分の供給などが重なり合って、平成13年のカビ大発生に至ったと考えられます。 Q.石室内のカビによる被害の状況は? A.石室内ではカビが発生していますが、一部には黒色のカビもみられます。 これが壁面に黒い染みを残すことになりました。 また、同時に発生したダニやムカデなどにより、カビが石室全体へと再散布され、影響を大きくしています。 さらにカビはダニの餌になり、ダニの排泄物や死骸が、カビの栄養源になるという生物サイクルができあがっているようです。 現在はエタノールによる殺菌や薫蒸を行っているが、増殖速度に処置が追いついていない状況です。 Q.石室内にムシが入っているようですが、その被害と侵入経路は? A.石室内ではムカデやダニなどの微細な小動物が石室内に侵入しています。 これは発掘後から断続的に続いていました。 これらの小動物によってカビが石室内全体への散布を大きくしたと考えられ、壁面漆喰層への直接的な影響も伺われます。 しかし、これらのムシの侵入経路については明確ではなく、発掘調査で確認された地震の亀裂などが考えられます。 石室にも亀裂や隙間があり、このような部分から入ってくると考えられますが、どの穴かは特定はされていません。 Q.漆喰面の劣化の現状は? A.壁画の描かれている漆喰の劣化状況についてはいくつかの状況が確認されています。 まず、漆喰の状態は剥離している部分や細かなヒビのはいっている部分、粉状に剥離が進行している部分、さらに漆喰層の内側が脆弱となり、表面が陥没している箇所などがあります。 また、以前に実施していた壁面強化のための樹脂等により変色したり、その後のカビ処置による樹脂の白濁化もみられます。 そして、カビによる漆喰への変色と菌糸の侵入による物理的破壊もみられます。 Q.石室石材の状態は? A.石室の石材は長期間水分を多く含んだ状況にあったため、その強度は低下しています。 詳細については今後の細かな調査が必要です。 また、天井石にはひび割れもみられ、石材には隙間などがあることから、気密性は低くなっています。 これらの隙間は上に漆喰層がある部分もあり、すべてを封鎖・密閉することはできません。 Q.石室の温度の状況は? A.発掘直後から昭和60年頃までは、石室内の温度は最高で17度台に収まっており、カビの発生も薬品などによって抑えられていました。 しかし、平成12年には19度を超え、カビの発生しやすい環境になってきており、平成13年にはカビが大発生しました。 その殺菌処置のためには、頻繁に石室内への入室が必要となり、このことがさらに温度の上昇を促進させています。 Q.墳丘の東北部の水分分布が高いようですが? A.墳丘の東北部には他の部分よりも水分分布が大きい部分がみられます。 この影響で石室東側石材の水分分布率も高いものになっています。 発掘調査の結果、この部分には石室よりも高い位置に粘土層があり、ここに水が滞留していることが原因と考えられます。 Q.発掘調査で地震の痕跡が発見されたが? A.発掘調査では過去の大地震の痕跡として、墳丘に地割れや亀裂・断層が見つかりました。 この亀裂には柔らかい土が入っており、ここに根が入り込み、これが腐ると空洞になります。 これがムシや水の侵入経路にもなります。 また、地震の痕跡が見つかったことによって、今後起こるとされている東南海地震にも対応する必要が改めて明らかになりました。 Q.高松塚古墳壁画の恒久保存へ向けての課題点は? A.これまでにみたように壁画保存にあたっては様々な課題が浮き彫りになってきました。 これらは個々に存在するのではなく、それぞれ密接に関わっています。 そこで今後克服しなければならない点をまとめると、 ・水分率上昇の抑制 ・温度上昇の抑制 ・カビ等微生物の抑制と侵入経路の封鎖 ・漆喰劣化の抑制とその修理・強化 ・今後の地震に対する対応 となります。 これらを制御することが高松塚古墳壁画の恒久保存対策の前提となります。 なお、検討会の内容については、文化庁のホームページで公開されています。 |
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