縄文の宝庫・北海道南茅部町
1996年に調査された南茅部町・大船C遺跡。南茅部町教育委員会。
海岸段丘上に立地する前期から晩期前半に及ぶ複合遺跡、中心は円筒上層式土器の中期末。発掘された3.500uから竪穴住居跡が96軒が出土。全ては2万uに600軒と推定される大集落である。(写真:北海道新聞)
中空大土偶。南茅部町・著保内野遺跡。後期後半。
高さ41.5cm。南茅部町教育委員会。75年ジャガイモの収穫中に出土。両手と頭頂部の一部を欠損しているがほぼ完形。黒っぽく見えている部分には黒ウルシが塗られている。
南茅部町のハマナス野遺跡と臼尻B遺跡から出土した円筒土器。
わずかに大木式土器も混じる。前期〜中期。南茅部町教育委員会。
町内に、早期から晩期に至る縄文遺跡が88ヶ所もあり、出土した遺物は350万点に上る。昔の映画館を収蔵庫に転用、2階正面の旧桟敷に土器がびっしり。
青竜刀形石器。南茅部町・臼尻遺跡ほか。
中期〜後期。南茅部町教育委員会。
青竜刀形石器は、分布が円筒土器文化圏に限られている特異な石器で、用途は不明。普通は一つの集落から多くて2,3本しか出土しないが、南茅部町では臼尻B遺跡と川汲遺跡で50本以上、町全体で約130本と、異常に集中していて、製作途中で破棄された未製品が多いことから生産地だった可能性が高い。
葬送儀礼に伴う土面土製仮面の出土状況。北海道千歳市、ママチ遺跡。晩期。土面の高さ17.9cm。北海道埋蔵文化センター。重要文化財。東北の亀ヶ岡文化に多い土面が北海道にも及んでいた例として重要。直径1.74mの墓坑の脇から出土した。墓坑内には白滝産の黒曜石片が252個など副葬。木製の墓標が立っていた痕跡があり、北方民族の葬送儀礼の例から、土面は墓標にくくり付けられていた可能性が高い。
日本海を運ばれてきたヒスイ。ヒスイ製玉類。北海道千歳・美々4遺跡ほか。
後期。最大のものは長さ5.5cm。北海道埋蔵文化センター。日本のヒスイの原産地は新潟県糸魚川周辺に限られているが、製品は原産地から離れた円筒土器文化圏の、青森県と北海道に集中的に出土する。日本海を海上ルートで運ばれたと見られる。
縄文時代の大土木工事。環濠集落。北海道苫小牧市・静川遺跡。中期。苫小牧市埋蔵文化センター。一つの台地を、深さ2m、全長135.5mの濠で囲んでいる。内部に2軒の住居跡があるが、遺物は殆ど出土しない。日常生活の場ではなく、祭りや儀式の場とする説が有力。
土偶。北海道千歳市・美々4遺跡。晩期。高さ4cm。北海道埋蔵文化センター。腹部が少し膨らんでいるので妊娠土偶とも。樹皮に包まれた遺骸の埋葬された土坑墓から出土した。墓から土偶が出土するのはまれである。
津軽海峡を望む早期の大集落。大型住居。北海道函館市・中野B遺跡。早期中葉。北海道埋蔵文化センター。函館空港拡張に伴って9万5千uを調査。600軒以上の竪穴住居が出土。写真手前は、1辺が6〜8mある大型竪穴住居で、約10軒が集中している。三内丸山遺跡を遡る2000年前に、津軽海峡を望む丘陵上に大集落が存在していたことが判明した。
一時期100軒以上の住居跡・集落跡。青森県六ヶ所村。富ノ沢(2)遺跡。中期。青森県埋蔵文化センター。下北半島のオブチヌマ近くの台地上にある遺跡。中期の前半から後半の竪穴住居跡400軒以上が重複して出土した。周辺には1000軒以上を越す住居跡があると見られる。墓らしい土坑も多数出土した。
北海道にもあった盛り土遺構。北海道千歳市・キウス4遺跡。後期。北海道埋蔵文化センター。三内丸山遺跡で強烈なインパクトを与えた盛り土遺構が北海道でも出土した。国指定史跡の巨大なキウス環状土?の近くで、盛り土遺構からは、異形土器・石器や最下層から朱漆塗りの弓も出土した。繰り返し焚き火をしていたことも判明。
三内丸山遺跡と北の縄文世界
アサヒグラフ(別冊)1997年・朝日新聞社