森と海の文化・森や生き物との交易

 縄文時代の日本列島は「東蜜西疎」だった。遺跡は東日本に圧倒的に多く、西日本はまばらだった。

 西日本は照葉樹林帯、東日本は落葉広葉樹林対に属し、縄文文化はナラ林の森に育まれた文化であったといえる。

 森はクリ、クルミ、トチなどの大型堅果類による安定した食料資源をもたらし、また籠などを編む樹皮や蔦、生活を彩った漆など、様々な資材を得る場でもあった。

 森とそこに棲む獣、或いは魚と共存していた円筒土器圏の人々が、それらと祭祀行為を介して交感していた可能性は高い。狩猟文土器は、そうした祭祀に用いられた特殊な土器とみられる。

 人とものが行き交う回廊だった津軽海峡を運ばれたものの一つに、イノシシがある。北海道にはイノシシは生息していないのに、骨が出土するのである。

 苫小牧市・柏原5遺跡で、強い火を受けて白色化した多量の獣骨片が、何層にも重なり合った状態で出土、鑑定の結果、獣骨はシカとイノシシが多いことが判明した。狩猟あるいは葬送などの儀礼の場であったと推定される。

 恵山町・日ノ浜遺跡からは、幼獣の土製品が出土している。本州でイノシシを用いた儀礼を行っていた人々が幼獣を運び込み、生け贄として葬る日まで育てたのだろうか。家畜といえるかはともかく、北海道のイノシシが、人間の管理化に置かれていたことは確実である。

 クマに関する儀礼の跡も発見されている。石狩町・上花畔T遺跡は、前期中頃の遺跡。ここから、アゴ、前足など上半身の部位ばかりの、ヒグマの骨が4〜8頭分出土した。

 クマに関する儀礼は北方諸民族に広く見られ、アイヌの「クマ送り」もその一つ。従来、アイヌクマ送りについては、サハリン・アムール川流域から渡来したオホーツク文化に起源を求める説が有力だったが、すでに縄文時代に、クマに関する儀礼が行われていたのである。

 函館市・桔梗2遺跡出土のシャチ形土製品も興味深い。アイヌはシャチを、クジラをもたらしてくれる「沖の神」(レプンカムイ)として重視していた。縄文人たちも、シャチに神の姿を見ていたのかもしれない。

 三内丸山遺跡の盛り土遺構に見られる、土器をはじめ大量のものを意図的に廃棄する行為も、「もの送り」的な儀礼と関係がありそうだ。


三内丸山遺跡と北の縄文世界

 アサヒグラフ(別冊)1997年・朝日新聞社

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