北の豊饒海と交易

 遠隔地交易のネットワーク

 縄文時代の日本列島では、地域文化圏が形成されていた。一方、戦後の考古学の成果として、黒曜石、天然アスファルト、ヒスイ、コハクなど特定の土地に産する物資を材料とする遺物が、原産地から遠く離れた地域にも分布することが明らかになってきた。

 縄文社会は自給自足の閉ざされたものではなく、地域圏を越えた物資の交換・交易が盛んに行われていたのである。

 秋田県から新潟県にかけての石油鉱床地帯に産出する天然アスファルトは、石鏃を柄に装着したり、割れた土器を補修する接着剤として、東北・北海道各地に運ばれた。北海道南茅部町では、工房とみられる建物内部の土坑の縁や、埋め込まれていた土器にびっしり入った状態で発見されている。アスファルトの量が多いことから、専門に取り扱っていた工人の存在も想定できる。

 旧石器時代の石器製作跡が90ヶ所以上発見されている白滝産の黒曜石は、すでに旧石器時代に、サハリンやアムール川流域にもたらされていた。土器が出土した千歳市・ママチ遺跡の土坑墓に剥片が副葬されていたり、三内丸山遺跡などで製品が出土していることから、縄文時代にも白滝産黒曜石が広く流通していたことは確実だが、何故か白滝では、縄文時代の遺物は極めて僅かしか出土していず、謎を残している。或いは、縄文時代には、白滝では原石の搬出のみで、石器製作は別の場所で行っていたのだろうか。

 コハクは岩手県久慈市周辺に山地があり、三内丸山遺跡では同産地の原石が出土している。ただし、北海道で晩期末から続縄文時代前期にかけて盛んに用いられたコハク製玉の原産地は、サハリンと推定されている。黒曜石とは逆に、北方からもたらされた物資もあったのである。

 日本で利用されたヒスイ原石の産地は新潟県糸魚川周辺に限られているが、製品としてのヒスイが最も多く出土する地域は、青森県と北海道である。北の縄文たちはヒスイに特別な価値をおいていたようだ。

 産地に近い秋田県や山形県より遠方の青森・北海道に大量に運ばれていることから、日本海の海上ルートで直接もたらされたと考えられる。北陸と北の縄文世界を結ぶ組織的ルートが存在したことは確かである。

 88年に、伊達市・有珠モシリ遺跡で、本州以南の弥生時代と並行する続縄文時代の墓の人骨から、九州や山口県と同じ着装原理を伴った南海産貝輪が発見され、二千キロ以上も縦断する交流のネットワークの存在が明らかになった。

そして94年、隣接する虻田町・入江貝塚から出土した貝製品中に、伊豆諸島南部、或いは鹿児島県宝島周辺から運ばれたオオタツノハ製のものがあった。既に縄文後期前半(3.500年前)に「貝の道」は北海道に達していたのである。

   

   

   

三内丸山遺跡と北の縄文世界

 アサヒグラフ(別冊)1997年・朝日新聞社

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