東北・北海道の古代史―4

続縄文とオホーツク文化

続縄文文化 ぞくじょうもんぶんか 本州の弥生時代〜古墳時代に、北海道と東北地方北部で展開した狩猟、採集、漁労を中心とする文化。縄文土器( 土器)の研究者であった山内清男が、この文化が東北地方の縄文時代後期〜晩期の文化をうけついでいることから命名したもの。土器の型式から道南地域の恵山式(えさんしき)土器と、道北・道央地域の後北式(こうほくしき:江別式)土器および北大式土器分布圏にわけられる。

恵山式土器は文様や土器器種などに東北地方の縄文晩期の亀ヶ岡式土器( 亀ヶ岡遺跡)の影響が強くみられ、後北式土器は北海道の縄文土器の流れをついでいる。遺跡からは豊富な石器、木製品、骨角器などが出土しており、墓には石鏃、石べら、コハク玉、管玉(くだたま)などを副葬する。サケなどの骨が発見されていることも注目される。

この文化では金属器の出土もあるが、稲作関係の遺物はまだみつかっていない。7世紀になると、後続する擦文文化、オホーツク文化へ移行していった。

   オホーツク文化

北海道のオホーツク海沿岸や千島列島にみられ、奈良〜平安時代に並行する文化。クジラ・オットセイなど海獣の狩猟や漁労を中心に生活していた。住居跡は五角形か六角形で長軸10m以上の大型のものもあり、床面積は7080m2とひろい。1つの住居に数家族が居住していたと考えられ、これは生業形態とも関係すると思われる。住居の奥にはクマやシカの頭骨がまつられ、柱にクマの彫刻があることから、アイヌの熊祭りの源流がここにあるともいわれている。

網走市のモヨロ貝塚は戦前から知られた遺跡で、住居跡や石器・金属器・骨角器などを副葬する多くの墓が発見された。これらの墓は長軸11.5mの土坑に頭を北西においた屈葬(くっそう)で、頭か胸の上に土器を埋納するものもある。この文化は、骨角器や石器にサハリン(樺太)やアムール川流域の文化と密接な関係があることが知られ、発見された人骨はアイヌ民族系統でなく、モンゴロイドで極北地方にすむアレウト族かともいわれている。

オホーツク海 オホーツクかい Okhotskoe More 北海道、サハリン、カムチャツカ半島、千島列島にかこまれた北太平洋の沿海。最大水深は千島海盆の3372m、平均水深838m。水深が200m以下の大陸棚が全体の半分を占めている。

オホーツク海の流氷

毎年1月中旬になると、シベリア方面から海流にのって南下した流氷がオホーツク海に姿をあらわす。4月まで海面が白一色にうめつくされ、この壮大な景観をみる観光用流氷砕氷船の運航もおこなわれている。沿岸地域で聞くことができる流氷のせめぎあう音は、環境庁が選定した日本の音風景100選のひとつとなっている。背後にみえるのは知床連山。

千島列島 ちしまれっとう 北太平洋北西部、北海道の東からカムチャツカ半島まで、約1200kmにわたってつらなる列島。ロシア名はクリル列島。国後島、択捉島のほか、ウルップ(得撫)島、シムシル(新知)島、シャスコタン(捨子古丹)島、パラムシル(幌筵)島、シュムシュ(占守)島など30あまりの島からなる。太平洋とオホーツク海をわけ、太平洋側には千島・カムチャツカ海溝が並行する。

 擦文文化 さつもんぶんか 北海道から一部東北北部に分布する文化で、擦文土器をともなう。擦文土器は胴部に刷毛(はけ)で擦(こす)った地文があることから命名された。昭和初期から研究がすすみ、現在では続縄文文化の終末期に本州の土師器(はじき)が影響をあたえ、7世紀ごろ成立したとされる。その終末期は1213世紀ごろと考えられている。

この文化初期に、江別市や恵庭市近辺で北海道式古墳とよばれる東北地方の終末期古墳に類似した、墳形が円形または楕円(だえん)形の墳墓が出現する( 古墳)。蕨手(わらびで)刀、鉄斧、土師器などをともない、分布は限定されるがこの文化に特徴的な墳墓である。

住居は1辺が46mくらいの方形竪穴(たてあな)住居で、屋内に炉をおき、煙道が戸外に通じるかまど()がつくこともある。海岸や河川、湖沼をのぞむ台地上に大集落をつくっていた。石器の出土例があまり多くないのは、鉄器が本州から移入されて普及したためと思われる。また、大麦、ソバ、アワなどの種子が出土しており、狩猟や漁労とともに栽培農耕が小規模ながらおこなわれていた。

擦文文化と同時期、北海道北部にはオホーツク文化が波及しており、道東のいくつかの遺跡では両文化の融合がみられる。最近の研究では、アイヌ文化を擦文文化までさかのぼらせる説もあるが、狩猟や漁労に関する民俗風習の祖型をオホーツク文化にもとめる説も根強く、定説はない。

擦文土器と須恵器

北海道千歳市内で出土した擦文土器と須恵器。10世紀のものである。擦文土器の特徴として、まずあげられるのが胴部表面の刷毛目(はけめ)状の整形痕である。そのほかにも器体上部に平行、斜行、綾杉(あやすぎ)などの沈線文があり、外側にそる口縁部をもつこと、そして器底にむかってすぼむ器形が多いことなどがあげられる。左端の甕の高さは約33cm